メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第110章

ADからの転身

1976年夏、渋谷公園通りにラ・カシータを開店以来、およそ数百人に及ぶ教え子達を指導してきた。中でも印象深く残っている男が一人居る。その名は青木直行、当時、TV番組制作会社のADを務めていた。確か1980年の初夏の頃だった。出演依頼を受けた『すばらしい味の世界』は、テレビ東京が高視聴率を誇る料理店憧れの番組だった。一流の店の献立を、5〜7回に分けて一品ずつ調理工程と出来映えを紹介しその美味しさと奥義を伝える、質の高い内容で構成されていた。まな板の上で鮮やかに食材を切り分ける様や、熱したフライパンに肉を置く瞬間の音を集音マイクが最大限に拾い、手元や材料をカメラがどアップで撮っていく。無音で真っ暗なスタジオではスポットライトの明かりが対象を照らし、調理作業の音だけが響いていた。7回分、約12時間を要した収録を終え、心地よい充足感に浸りながら帰り支度をしている時だった。青木さんから「すごく感動しました。全部美味しそう!」と感想をいただいた。その時は気が付かなかったが、相手の気持ちの中に変化が生まれていたのである。後日、料理名とナレーション説明の確認に店を訪れた彼の口から意外な言葉を聞かされる。「僕、この店で仕事がしたいんです。お願いします…。」驚いた、あまりにも突然の出来事にしばし呆然である。

聞けば、これまでに数々の調理人の方々の料理と技術を見てきたが、メキシコが披露する独創性、シンプルなレシピが醸し出す味の妙味、更に歴史的背景が映し出す奥深さ、そして何よりもラ・カシータのスタッフ達の熱意と開拓精神に魅入られてしまったとのこと。是非、仲間に入れて下さいと頭を下げられては断る理由は無かった。包丁を手にした経験は無かったが、持ち前の器用さで上達も早く、2年も過ぎた頃には仕込みもできるようになっていた。性格も明るく冗談も好き、前向きで好奇心旺盛な青木さんは、正に店にお似合いの存在だった。1987年夏、地上げ屋来襲の折、ラ・カシータが閉店・解散を余儀なくされたのを機にメキシコへ旅立ち、半年間、各地を巡り見聞を広めていた。帰国後、かつて大阪万博が行われた会場の近く、千里中央に『EL PICANTE』の名で店を構えたが、残念ながら3年ほどで閉じてしまった。教え子の初独立だったが、関西はアメリカメキシコ料理への依存度強く、殻を破るのはなかなか難しかったに違いない。現在は定職に就き、東京に出張があると顔を見せてくれ、相変わらずの人柄で昔話に花が咲く。因みに、グアテマラで出会って結婚した彼の奥様は、私の学生時代からの語学友人(シアトルのワシントン大学東洋美術史教授)Michiyoさんの妹である。人生の歩みの中での縁に贈られたシナリオは不思議であり、感慨深いものがある。