メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第124章

感動の味 チラキレス

「もう、本国へ行くしかない」そう心に決めたのは1973年春の頃だった。特にあてがあったわけではないので、周りの友人たちは心底心配をしてくれた。ガイドブックもない時代、情報は米国の映画やTVドラマに登場するメキシコ人の姿だけだった。映像に映る彼らは皆、貧しく、トルティージャを齧りながら、粗末な惣菜を食べていた。また、衝動に背中を押されて、その地へ旅立つ行動に呆れてもいた。現在でこそ、与えられた役割だと理解しているが、当時は未来への展望どころか、明日さえも見えていなかった。頼りはメキシコ大使館で得た20軒ほどの飲食店リストだけだが、仕事に就けなくても、とりあえず本物の味を確認したかったのである。神戸の店ではトルティージャは缶詰、調理はチリ・パウダーを多用していた。そこで遭遇したメキシコ人たちは店の料理を全否定し、口々に自国の料理の素晴らしさ、美味しさを力説したのである。一体何が違うのか、体験することに意義があった。羽田空港を飛び立った飛行機の機内で、メキシコの情景をイメージしていた。小さな村があって、サボテンが周りに乱立、麦わら帽をかぶった村人がテキーラを片手に座っている。そんな風に思い描いていたその頃の自分を思い出すと、今更ながら恥ずかしくなる。機はカナダのバンクーバーを経由して、メキシコ・シティ国際空港(ベニート・フアレス国際空港)へ一路向かった。

入国手続きを終え、外に出て見た光景には驚愕の一言だった。高層ビルが立ち並ぶ街に高速道路、地下鉄が整備された大都市なのである。想像を遥かに超えていた。時は1974年初頭、20代半ばの私はカルチャーショックを受けていた。翌日、中心街で初めて口にした料理は感動の嵐だった。トウモロコシの香りと旨味、ほどよい甘みのトマトソースに漂う微かな唐辛子の後味、盛り込まれた鶏肉、風味豊かなチーズの絶妙なバランス、トッピングのオニオンのシャキシャキ感、正に絶品だった。その時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。その名はChilaquiles(チラキレス)、残ったトルティージャを4等分に切り、ラードで揚げたものをボイルした鶏肉、チーズと共にランチェラソース(優しいチレ味のトマトソース)で煮込んだものだが、メキシコ全土に根付いている伝統惣菜である。日本食に例えるなら雑炊だろうか。残ったご飯を出汁と具材で煮る形態が、食材は違えど共通しているのである。澱粉がアルファ化した炊きたての白米の美味しさが、焼きたてのトルティージャに匹敵するとすれば、お冷ご飯はベータ化した旨味の代物。冷めた残りのトルティージャの調理例としては妙案である。長きにわたる私のメキシコ調理人生はこのチラキレスとの出会いを起点として歩き始めたのである。その後、この料理にも様々なアレンジがあるのを知ることになるが、あの時の感動の味を忠実に再現した店のそれは、多くの顧客を魅了し、ラ・カシータの看板メニューとして定着した。