メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第104章

大手ホテル、オープン記念イベント

メキシコの面積は日本の5.2倍。この広大な国土に数千年にわたって培われた食文化には計り知れないものがある。各地方に根付き郷土色溢れる料理の品々は、その独創性を見事に披露している。修業時代から国内を巡り、目の当たりにした現実の奥深さは畏敬の念を持って臨まなければと、己自身を奮い立たせたのを記憶している。屋台や定食屋、レストランなどで食事を通じて体験するのは勿論ことだが、メルカード(市場)で先住民の末裔の方々からもお話を伺っていた。唯、食材や料理の名称がスペイン語の辞書では役に立たず、仕方なくカタカナで記録していたが、後にプレ・イスパニカ(スペイン文化到達以前)の言語であるナワトル語の辞書を見つけてからは面白いように語源が分かり、事ある度に夢中になって訳していた。その分厚い本には古代の情報が膨大に詰まっていて、現在も検証を取るには欠かせない辞典である。長い歴史の中に継承されてきた食の歩みを、如何に日本人に認識させるか試行錯誤していた初期の頃、忘れられない出来事があった。それは代官山、旧山手通りに開店して半年ほどが経った夏のことである。メキシコ大使館からの電話は、あるイベント参加への依頼を告げていた。品川に開設される大手ホテルのオープン記念企画『世界の民族料理』、期間は一週間の限定だった。願ってもないチャンスである。当時、店はまだそんなに忙しくは無く、スタッフの調整をして出向いた。

豪華ホテルの一階ロビーに配置された十数件の屋台は、国名が記されただけのあまり立派なものでは無かったが、一流の場所で提供できる状況に心は弾んでいた。インド、韓国、タイ、ベトナムなど、エスニック満載の雰囲気はこの催事の盛り上がりを予感させていた。一坪ほどのブースではそんなに販売できないが、それでも海老や鶏肉の献立を用意した。奥の厨房で準備をしていると「メキシコ料理って珍しいですね。タコスは知ってますけど」とインド人の女性が話しかけてきた。本国の料理の豊富さを説いていると、彼女は「私の国もカレーだけだと思われているが、色々沢山あるんです。この場所でそれを説明したい」と共感してくれた。会話が聞こえたのか、韓国や他の国の参加者も口々に同調していた。日本人の認識を改めるのは時間も掛かるが、大変なことなんだと意見が合い、「皆で頑張りましょう!」と一気にまとまった。初日から好評を博したのは若鶏もも肉のメキシカンソースだった。トマトを主体にしたソースにボイルしたジャガイモのサイコロ、グリーンピースの緑が国旗の色を表した定番の一品である。ほのかに感じる唐辛子の刺激は、購入者達に意外性を与え、そこから話しは膨らんでいった。野蛮な辛さだけだとイメージされていたが、上流客に美味しい旨味があると伝えられたのは、このイベントのおかげで、本当に有意義な一週間だった。噂が口コミで流れたのか、店の予約は増えていった。