メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第62章

公園通りの店、オーナーの決断

1976年夏。渋谷公園通りに構えることのできたラ・カシータは、古い木造2階建ての1階の片隅、端っこの狭い割り当てだったが、中央の大きな窓は隣の小さな公園に面しており、そこから見える景色は開放的で絶好の環境に恵まれていた。入り口の傾斜部分には、払い下げの枕木を積み上げた階段を設置し、横には1坪ほどのオープンエアテラスを作ってみた。資金に余裕がなかった当時、テラスの床面から椅子、テーブル、看板まで全て家屋を解体した古材を使用した。店の軒先に並ぶ『La Casita』の文字は、近所のステーキ店が廃棄した木製の下皿に彫りつけ、赤色を塗ったものだった。洗練された上品さではなかったが、ゴミ類を再利用した手造り感に共鳴したのか、アングラ劇団や物創りに携わる来店客が増えていった。後に渋谷区役所の廃棄物担当者から表彰物ですよと誉められることとなる。順調に顧客は付いていったが、大幅な利益にはなかなか繋がらなかった。開店前、「黒字が出なければ、自分の給料は結構です。」と大見得を切った手前、何とか収支はトントンに維持していた物の、持ち主にとっては少し歯痒い思いがあったのかもしれない。オーナーさんが思いきった手に出たのは1年ほど経った頃だった。「渡辺さんとの約束は朝から夜10時までだから、後は好きに使うわね。」

突然の宣告に意味がわからなかった。話を聞くと、渋谷駅前で営業していた焼鳥屋の従業員二人に朝まで店を任せると。近年なら常套手段だが、この時代には斬新な発想だった。だが飽く迄もオーナーの意思、逆らうことはできない。「わかりました。」と云う他なかった。こうして夜11時から『La Casita』の看板を外したところに『夜来』の字が記された大きな提灯が下がり、居酒屋が運営される運びとなった。流石に焼き鳥は提供できないが、モツ煮や和え物、板わさなど事前に家で準備をした物を保存容器に詰め、手間をかけずに賄える献立構成には感心した覚えがある。ただ困ったことは、来店したお客様が「あれっ? 肉じゃがは無いの?」のような戸惑う場面が多発し、説明しても相手も半信半疑、なかなか理解して貰えなかった。時代が早すぎた感はあったが、今思えば、それだけ夜中も集客できていたと考えられる。ある日のこと、出勤したら前日仕込んだサルサ・メヒカーナが半分減っていた。閉店後、訳を聞くと「あれ、厚揚げを焼いたのにかけたらすごく美味しくて、お客も大喜びだったよ。」と平然と説明された。腹が立った。その頃の私は、伝統メキシコ料理一筋のカチカチ。高齢者の大先輩だったが、許せない感情が身体を駆け巡り、料理を侮辱された思いで相手に怒りをぶつけていた。弱冠29歳、若かりし頃の出来事である。この経験が現在に繋がるとは思いも寄らなかったが、時が流れ、サルサの活用を推奨している私にとって、必然の結果をもたらせた先輩に大感謝の思いである。