メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第26章

岸朝子先生との再会

料理には性格が出るとよく言われる。実際、同じレシピでも作り手によって味が微妙に変化するものである。況(ま)してや、創作料理ともなれば如実にその傾向が現れる。伝説の番組「料理の鉄人」の収録時に印象的な出来事があった。与えられた1時間の枠内で、題材の「マンゴー」をお互いに出来うる数の全ての皿に使い込まなければいけないルールである。調理スタートの合図の声に、駆け登った壇上に山積みされた厳選のメキシカンマンゴー、フィリピンマンゴーはどれもが芳醇な香りを放っていた。皮を剥ぎ、実を取り出す作業の中で、一瞬、頭に過(よぎ)ったのは、使う量を適度に判断しないとマンゴーだけが主張する危険性の思いであった。他の食材との配合バランス、加熱の具合、何もかもが現場の裁量に委(ゆだ)ねられていた。失敗したらやり直す時間は無い、緊張を超えて自身の気持ちは「美味しい皿に仕上げてあげる」の楽しみに変わっていた。終了1分前に出来上がった6品は、アワビのテキーラ蒸しにアボカドとグリーン・チリ、マンゴーを合わせたソース。食用サボテン入りのマンゴー炊き込み御飯にチレ・ハラペーニョとトマトのソース。松の実、マッシュルーム、マンゴーを刻み込んだ赤ピーマンの豚肉詰めにチレ・チポトレのソース。牛フィレ肉のマンゴーモーレソースにマンゴーで練った生地のトルティージャ添え。フレッシュマンゴーとテキーラのライム入りカクテル。デザートはマンゴーの胡桃(くるみ)ソースがけ。どれもが新しい友達(マンゴー)を迎え入れたメキシカン・テイストに成り立っていた。

審査は放映では2分程に編集されたが、約40分かけて丁寧にそれぞれの献立にコメントが語られた。岸朝子先生、加納典明さん、高田万由子さんら委員は、個性ある唐辛子の持ち味に驚き、味の妙味に感動し、全員一様に、辛いばかりと思っていたメキシコ料理がこんなにも味わい深いものだとは思わなかったと評してくれた。一方の鉄人、神戸勝彦氏はその卓越した技量と調理センスで満点を獲得したが、どの皿も攻撃的すぎるとの言葉も出た。2点差で終結した勝負はともかく、マンゴーを制した充足感に浸(ひた)りながら帰ろうとした時の事だった。「渡辺さん!」、後ろから呼び止めたのは岸朝子先生。「あなた、覚えてらっしゃる?20年前のこと」。何のこと?聞けば、料理記者時代、当時のラ・カシータを取材した時の話で、「メキシコ料理の解釈で随分とあなたから説教されたの」とのこと。勿論、覚えてはいなかったが、その頃、年間40〜50件程の取材相手には、かなり攻撃的、且つ威圧的に立ち向かっていたと記憶している。岸先生は「でも今日の料理はどれも優しい味で、全部美味しかったわ」と、つぶらな瞳に笑みがこぼれていた。一週間後、先生が主宰する雑誌から『岸朝子が選ぶ名店』の取材依頼の連絡が入った。